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  • がん細胞デスノート

    がん細胞に消滅してほしい。毎日思っている。

    -がん専門無料SNSコミュニティ-

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がん細胞DEATH NOTE-日本で唯一がん専門無料SNSコミュニティ- Latest デス書き込み

今回の手紙は、吐き出す場所がなくて辛い時に、思い切ってあなたに向けて書かせてもらいました。

まず最初に、あなたががんという難しい病気に立ち向かっていることに対する深い敬意を表明したいと思います。

その勇気と強さは、本当に感動的です。私はあなたががんという試練に立ち向かう中で、孤独や不安を感じることがあることを想像できます。

だからこそ、私はここにあなたに寄り添い、支えようとしています。

あなたががんを患ったことで、私たちの関係は大きく変わりました。

正直に言うと、あなたの病気が私にとってただただ迷惑なだけです。毎日が不安と焦りでいっぱいですし、あなたのことで頭がいっぱいです。

最初は、「がんなんて他人事」と思っていました。でも、実際にあなたが病気になってみて、私の感情は一変しました。

怒りや不満が爆発しそうです。何であなたがこんな目に遭わなければならないんだろうと、ただただ腹が立ちます。私たちはこんなにも苦しんでいるのに、どうしてだろう、と考えてしまいます。

あなたの病気によって、私たちの日常は崩れ去りました。仕事も家庭も、全てが影響を受けています。

あなたの病気のために、私の時間やエネルギーが奪われています。本当につらいですし、私の人生が狂いそうです。

そして、あなたの病気に対する不満もたくさんあります。

たとえば、あなたの治療や行動に対する選択肢について、私はいつも不満を感じています。

あなたが何を選択しても、私は不満を感じてしまいます。本当は、あなたがもっと積極的に治療を受けるべきだと思っています。

でも、あなたの闘いを応援しています。今までどんなに大変な時でも、あなたは前向きに頑張ってきました。

その姿勢に、私は感銘を受けています。あなたの強さと勇気を信じています。

どんな困難な状況でも、あなたの心の中に光が輝いていることを忘れないでください。

最後に、私はあなたに健康と幸福を祈っています。がんという病気があなたの人生に暗い影を投げかけることはありません。

あなたは強く、勇敢であり、素晴らしい人間です。私はあなたを心から尊敬しています。

どんな時も、私はあなたの味方です。あなたががんと闘う日々は、決して簡単ではありません。

苦痛や不安、そして不条理な現実に直面することでしょう。私はそれを理解しています。

しかし、あなたは決して一人ではありません。私も含め、たくさんの人々があなたを支え、応援しています。

私たちは、あなたの苦しみや不安を分かち合い、共に歩む覚悟があります。

一緒にある場所へ行った際のことです。レストランに入った時のことでした。

あなたは料理を少し食べて、食べられないと言った時、おかしいと思ったので検査を勧めました。

それで医者に行って検査してもらった時、末期の胃がんがわかりました。

あなたには知らせませんでしたが、それ以外の家族が知ってみんな動揺していました。

どうして、毎年の検診を受けなかったのだろうかと、みんな思いました。

何か体がおかしかったら、すぐに医者に行くべきだったのに我慢していたのでしょうか。

ちゃんと毎年の検査を受けるべきでしたよ。

それが悔やまれてなりませんでした。だから、私は教訓として毎年の健康診断はきちんと受けるようになったよ。

あなたには胃潰瘍だと行って手術を受けさせましたが、今では手術をさせなかった方が良かったと、これについても悔やまれてなりません。

なぜなら、手術を受けた時から、あなたの体は急速に衰弱していくのが見ていられなかったからです。

寝たきりになってしまいましたから、みんなで介護をするのですが、あなたの顔を見るのがめちゃくちゃ辛かったです。

他にも面倒を見る人もいましたが、私は車を飛ばして1時間ぐらいかかるところに住んでいましたから、病院に行くのが本当に大変でした。

また、会社から駆けつけるときは、上司にいつも気を遣いながら時間を取るのがしんどかったです。

休暇願いを出して休んだり、午前中だけ仕事をして午後に駆けつけるという日々でした。

会社にもたくさん迷惑をかけたので、申し訳なく思っていました。

だから本当に末期癌ではなくて、早期発見をしていればこんなことにはならなかったと思います。

あなたが医療をもっと信じて、利用してくれていればこんなことにならなかったのに。

一時帰宅をした時も、本当に体が動けなくてみんなで体を支えて介護しましたけど、あなたの苦しそうな顔を見ていることができませんでした。

地獄の苦しみのような感じがしました。

病院に戻ってからも、家族で毎日病室にいきましたが、迫ってくる死期にやるせない気持ちでいっぱいになりました。

亡くなる一週間前には、無菌室のようなところに入り、面会に行ってもほとんど会話ができないほど衰弱していましたね。

死期が近づいても、できれば穏やかに笑っていてほしかったです。

仕事と看病の両立に苦しんだ日々でしたが、周りの人は愚痴は絶対に言わない方が良いですよ言いましたが、心の中では愚痴だらけの日々でした。

不平不満、文句、愚痴、悪口が時々心のなかに起こるのを抑えることができなかったです。

おまえが急激に目の前に現れて、人生初めて絶望っていうものを形としてみることができたよ。

きっと人を不幸にしたくて目の前に現れたんだろうけど、どうやって人を選んでるわけ?

「うーん、、ランダム、適当に。かな?」とか回答しちゃうんだろうけど、その適当さ、軽率さがまず嫌われる原因って気づいてる?

気づけてたら目の前に現れなかったと思うんだよな

気分屋なお前のせいで、こっちは「人生とは何か」って今まで考えたことないことを考えだして、しかも考え慣れてないから、ネガティブな考えしか思い浮かばなくて、こんな気持ちになるなら最初から生まれなければよかったんじゃないかって思ってしまう人間がいるんだよ。

ここまで聞いて、「いや、べつに人を不幸にしたいわけじゃない」とか言うんだったら、そもそもお前の存在自体が人を不幸にするものだから救いようのない、残念な話だね。かわいそうで仕方ないわ。

お前が現れたあの日から人生の先行きとか、全く見えなくなったんだわ

治療している当の本人は「自分は不幸じゃない」とか気を使って周りの家族や友人に無理やり笑顔作って話すんだよ。

それを見せられた周囲の人間はどんな気持ちになると思う?

「無理して笑わなくていいよ。」とすら言えなくて、こっちも頑張って笑顔を絶やさないように会話するんだよ

その苦しさ、辛さがお前にはわかるか?

お前は悪の象徴だから。そんな経験ないからわからないか。
うん、わからなくて当然だよな

お前と同類のお友達すべてが世界中のどれだけの人間を不幸にしてるのか、もっと理解してほしい。

まあ、理解したところでその気質で生まれてしまったお前にはどうしようもないことか。

だけどこれだけは覚えておけよ

お前は「どうしようもなく人を不幸にしなければ存在できない」ということを
存在し続けるなら、これだけは覚えて暮らして行けよ。

毎朝、鏡の前で
「自分は人を不幸にしかできない存在です」
って唱えるくらいしてもらわないとこちらとしては腑に落ちない。

まあ、それされてもお前は嫌われ者のままだけどな。

せいぜい、全人類に嫌われつづけて生きてくれ

同類のお友達もいると思うけど、私が今言った毎朝の行いをするように伝えておいてくれよ

伝える義理がないって?
私が言った言葉でお前が少しでも傷ついてれば、きっと耐えられなくなって誰かと共有したくなるさ。
何回でも言うが、まとめとしてもう一度言っておく

「お前は嫌われ続け、恨まれ続けることでしか存在できない、かわいそうで、救いようもない。残念で悲しい生き物だ」

あと、最後に言っておくと、現代の医学はかなり進歩してて、お前らは生まれてもすぐ死ぬことになる。

ひと昔みたいに長生きはできない可能性が高いから、そこのところはよろしくね。では!

家内が最初に肺がんと診断されてから10年以上がたちます。

最初はまさか、あんなにお酒が大好きで豪快な彼女がまさかと。

単身赴任していた私はすぐに自宅に戻り、お医者さんのところにすぐにいきました。

診断は肺がんのステージ4。実際には肺に6センチの腫瘍、さらには背骨にも骨転移がある状態。

今考えると、私が単身赴任の間にも多少歩くとゼイゼイいったり、せきがひどいことがその症状の表れだったのでしょう。

気づいてやれなかったことは後悔しかありませんし、本人も。しかし、いつから癌があったのがといってもわからないこと。

それ以来、たまたま彼女の体には肺がんだけをアタックする分子標的薬があうこともあって、正直なところ、大きな副作用もなく生活ができました。

何よりも本人が長女、次女の成長を短い単位で区切り、成長を見守っていくことを目標にして生活していたことがポイントだったのです。

最初は2週間に1回の診断があるたびに癌の抗体ができて、薬がきかなくなるのではないか?転移があるのではないか?と気になりながらも本人が一人で病院にいくことをやめなかったので見守るほかありませんでした。

こうした日々が続き、もちろん、薬が効かなくなっても実はこうした分子標的薬が3回も繰り返し利用することができ、正直知らない方にとってはまさか家内がステージ4の肺がんとは思えないような状態で生活を送っています。

しかしながら、昨年末当たりから少しずつ検査の数値がわるくなりつつあります。

先生からも次に使える分子標的薬もなく、抗がん剤治療を含めた新たなステージに入っていかざるを得ないといわれています。

家内もいつかはこんな日が来ることはわかっていましたので覚悟そのものはできていました。友人たちにもさすがに自らが10年以上にわたってがんと闘い続けていることを告げようと決意した次第です。

有難いことに長女は自らの夢をかなえる多たちでクラシックバレエで生計を立てる、そして次女は母親の病気を治療する分野に進みたいということで生命科学を学び、来年は大学を卒業して就職というところまでこぎつけた次第です。

しかしながら、私自身は家内のいない人生など全く想定できません。

せっかく子供たちが手がかからない年齢になり、これから二人の時間が多く取ることできるようになってきたからこそ特にそう思うのかもしれません。

とにかく医学の進歩、家内の心の強さに期待していきたいと思います。

ねえ、癌細胞!あなたはいつの間に祖父の肺に住み着いたのですか。

そんなに祖父の肺の中が居心地いいのですか。

あなたが祖父の肺に住み着く前は、祖父は病気1つしたことがなく、毎日友人とゴルフに行ったり、祖母と温泉へ行ったりして人生を謳歌していたのよ。

なのに、癌細胞が住み着いてからは、祖父は息切れはするし、痰がからまるし、とてもしんどそうなの。

もちろん祖母と年2回言っていた旅行も体力が弱っていけなくなったわ。

祖父の生活が一変したのは、癌細胞あなたのせいなのよ。祖父に対して罪深いしていると思わないの。

さっさとどこかへ消えていって欲しいわ。そして二度と祖父の体の中に入らないで欲しいの。それと、肺以外の臓器への転移もしないで欲しいわ。

癌細胞が祖父の肺に住み着いているだけでこんなに祖父が苦しんでいるのをみて、悪いと思わないの。

あなたが祖父の楽しい生活や体力を奪って、旅行といった祖父の楽しみまで奪っているのよ。

そんなに祖父の楽しみを奪うことが楽しいの?祖父が癌細胞にどんな悪いことをしたというの。

癌細胞が祖父や家族に対して不満や言いたいことがあるならはっきりと、今すぐ言ってみてくれる!祖父の体力を弱めてどうしてくれるの?

祖父の肺に癌細胞くんが住み着いたせいで、祖父だけではなく私たち家族の生活まで一変しているということ、わかっているの?

何の罪もない私たちに、どうしてそんな意地悪をするの?どこまで嫌がらせをしたら気が済むの?癌細胞!

祖父は、あなたが肺に住み着いたせいで今までできていた友人とのゴルフができなくなり、体力面だけではなく、精神面でかなりのショックを受けているのよ。どうしてくれるの?

祖父は最近とても気が弱くなって、夕暮れになると窓の外の景色をみながら落ち込んでいる時が多くなったわ。

自分の人生を振り返って、あれもしたい、これもしたい、でも体力がない、等と嘆いているわ。

全てあなたが祖父をこのような状態へ追いやったのよ。わかってるの?

家族だって、祖父を囲んで食事をしたり、温泉旅行に行ったりすることができなくなったのよ。

あなたのせいで祖父は、普通の食事がとれなくなっているの。

祖父は祖母の旬の食材を使った煮物を食べることがとても楽しみだったの。

季節感を味わったり、食感を楽しんだりできるから。その祖父の楽しみまで奪ったのは癌細胞、あなたよ。

死に対する不安は祖父だけではなく、家族にもあるのよ。

祖父にはできるだけ長生きしてほしいけど、その時が来たあとぽっかりと心に穴が開いて、生きていけるのかっていう不安もあるの。

祖父の肺に住み着いた、癌細胞さえいなければ、明るく楽しい生活ができて万事うまくいくのよ。

癌細胞!どこかへ行って消滅して欲しいのだけれど。祖父の命まであやめようとしている、憎き癌細胞!

人に迷惑をかけて生きている癌細胞!あなたもいつの日か自然淘汰によって、地球上から消える日が近未来に訪れることでしょうね!

その時は皆で万歳三唱をして、お祝いしなきゃね!やい、癌細胞!今が華だね!

君もいつか苦しんで、消滅していくんだろうね。いつかと言わず、今すぐ消滅して欲しい!迷惑千万だ!

ガンが発覚する少し前まではとても元気で、急に体調が悪くなり病院に行ってガンと申告されたときには本人は本当にびっくりしたと思うし、家族もみんなまさかという気持ちでいっぱいでした。

膵臓は沈黙の臓器の一つで、気が付いたり症状がでだしたタイミングではもう手遅れということが大半だということもこのことがきっかけで知ったし、余命が半年ほどと聞いたときには本当に信じられなかったです。

でもガンが発覚したばかりの頃はやはりまだ元気もあり、普通に話ができていて本当に病で余命半年なのかなとみんなが疑問になるくらいでした。

本人も「まだ死ぬ気がしない」と言っていたこともあり、周囲も「もしかしたらガンが消滅するのではないか」と話していたくらいです。

しかしそれからしばらくして夜中に「身体が痛い」というようになりだし、寝ていられないので徘徊してしまうように家の中をうろうろしていることがわかったときには、ショックもありどうにもしてあげられないことがもどかしかったです。

もしかしたらという気持ちを捨てきれず、お姉ちゃんっ子だった私の夫も一緒に他の県の病院まで行ってセカンドオピニオンを受けたりもしましたが、やはりタイミングが遅すぎて治療する術はないと聞いた時は帰り道の車の中で夫と2人で泣きました。

その後徐々にご飯が食べられなくなっていってしまい、身体が痛いという時には病院に入院するというタイミングも3回ほどありましたが、余命わずかな時間を病院で過ごさせるのも嫌だという気持ちと、家にいても身体も痛がっているしどうにも出来ないもどかしさで精神的に家族も落ち込んでしまいました。

1人でも家族の中にガンの人がいるだけで、みんなこんなに落ち込んだ気持ちと辛い雰囲気になってしまうんだなと思ったし、なんでガンになんてなったんだという気持ちも正直ありました。

最終的には本人もとても辛かったからか、「誰か変わってくれ!」と叫び出すこともありました。

普段はとても穏やかで心優しくおとなしいタイプの義母の姉だったので、病気というのは人を変えてしまうんだなと思ったし仕方ないことなのかもしれないとも思いました。

お姉ちゃんっ子だった夫はとてもショックを受けて精神的に少し病んでしまい、その時には義理の姉のことを少し恨みました。

でもまだ若いのにガンになった姉のことを見て、健康のありがたさと命は永遠ではないことを改めて実感したし、最後は安らかに過ごしたいと思いました。

なんで知らないうちに入ってくるの!本当にむかつく!

お前のせいで、うちの家族は本当に大変だった。

真面目に生きてきた父が、なぜあんな思いをしなきゃいけなかったんだよ。

もっと、他に悪いことしてる奴なんていっぱいいるじゃん。

そういう奴らはのうのうと生きて、うちの父が苦しまなきゃいけないなんて、本当に理不尽だし不公平だよ。

がんのせいで父は仕事も辞めたし、私も仕事を辞めるはめになった。

手術の費用だってかかるのに、職を無くした気持ちがお前に分かるか?

なんのために、ここに来たんだよ!もう辞めてくれ。お前に怯えながら暮らす日々はもううんざりだ。

完治したとしても、一生お前に怯えながら暮らさきゃならないこっちの身にもなってくれ。

こっちは何も悪いことしてないじゃん!それなのに、大好きなステーキを食べることを諦め、ハンバーガーやポテトも食べられない。

そんな父を見るなんて、本当にかわいそうでたまらないんだよ。

お前さえいなければ、もっと笑って暮らせたのに。もっと楽しい老後を送れただろうに。

そう思うと、悔しくて悔しくてたまらない。子どものために必死に涙をこらえる父の姿を、本当に見ていられなかった。

何もできない自分にもいらついてしまった。

お願いだから、もうこっちにはこないでくれ。勝手に住みつかないでくれ。

というか、この世からいなくなってくれ。お前を必要としている人なんて、この世に誰もいない。

だから、お願いだから目の前から消えてくれ。頼む。あの時の、一生懸命に働いていた父を返してくれよ。

できることなら、昔の幸せだった頃に戻りたい。何も気にせず、旅行や外食をできた時のこと。

私の子どもは、じいじと一緒に旅行できたことが未だにないんだぞ。なんでか分かるか!?

お前のせいだよ。出かける場所にもいろいろ制約があって、まともな旅も出来やしない。

孫と一緒に外食を楽しむこともできない。会うのはいつも家の中。そんな思い出しか作れないなんて、かわいそうだと思わないのか。

お願いだから、もうこれ以上私たち家族から大事なものを奪わないでくれ。

前以上に食事にも気を使っているし、運動も心がけてる。だから、絶対に私たちのもとへは来るな!

百害あって一利なしのお前にもう用はない。たくさんのお金と笑顔を奪っていったお前には、正直、憎しみしかない。

だから、もうこれ以上、私たちを苦しませないでくれ。頼む!

あの時の幸せな時間は戻せないっていうんなら、せめて絶対にこっちには戻ってくるな。

私が結婚する時、親戚でがんの人がいるので結婚することに反対というぐらいがんの家系の人と一緒になるのはともめていたのに。

いざ自分ががんになったときに、自分の事は何も言わず、私にそんなことを言ったことすらすっかり忘れている感じでそのことを知ったときに、イラっとした。

イラっとするのは当然でしょう。しかも、後から知ったことだけで姑の親戚もたくさんがんの人がいることが分かったので、そのこともむかつくと思っています。

病気をしてから、私が面会に行くたびに愚痴をたくさんいうことについて、マイナス思考の姑の事がやっぱりこうなったかと真剣に聞いていると心がダメになりそう。

マイナス思考の人と一緒にいると、周りの人たちも苦しいというけど本当だと思う。

ここに面会に来ることが、とてもつらい。どうしたらいいのかと思うほど、嫌でたまらない。

家に帰ると、主人が「どうだった?というけど自分で確認してほしいと思う。

主人と姑は仲があまりよくないので、そのように聞くのは仕方がないと思うけど、自分でお見舞いにも行けよと思う。

自分の親なのに、時間があっても嫌がっていかないので本当にむかつく。

肺がんなので、治る確率があまりよくないらしい。姑にはそのことを伝えることができない。

治ると伝えているけど、「治るはずがない、このまま楽しいこともなく死んでいくだけ」と言われる。

伝えると、とんでもなくパニックになることはわかっているので私の心におさめている。

食事はいつも完食しているらしいけど、全然食べられないという。

看護師さんは、よく食べていますよというのでどうしてそんなウソをつくのかと思う。

差し入れもしているけど、それを食べることもあまりなく捨てている感じ。どうしたらいいのかわからない。

看護をするというのは、24時間と思うと一時退院の話が出ているけど考えられない。

退院をすると、ますますわがままになり私にぶつけてくるストレスを思うと、嫌になってくる。

というか、一時退院をすることについてできないと思ってしまう。

本人は、早く退院をしたいと思っているけど、看病をする私は倒れてしまう。

一時退院を阻止したい。こんな風に思う私の考えは、間違っているのだろうか。

しかし現実として、考えると耐えれてしまう、精神的に参ってしまうのははっきりわかっている。

私の精神的なサポートは、誰がしてくれるのだろう。がんの家族のサポートが欲しい。それは、私だけではないはず。

突然胸のあたりが痛くなり、何となく病院に行って検査を受けてみたら乳がんの診断。

その時は頭が真っ白になったし死を覚悟した。自分の親も肺がんで亡くなっているから尚更がんと言うワードを聞いただけで戦慄。

30代という若さで自分はこの世を去らなければいけなくなると思って夜も眠れなかった。

仕事も辞めて乳がんの治療に専念。自分の楽しみの全部を捨てて治療することだけに集中する日々。

癌細胞が人間ならこの手で殺してやりたいと思うくらい耐えがたい日々を過ごしてきた。

どうしてこんなに苦しめるの?私が何かした?生きることを否定しているの?

そんなことを永遠と考えては辛くなって涙を流す毎日。

正直なところ、癌細胞は人を地獄へと落とす悪魔のような存在だと思ってる。

人でもない誰かの不幸を楽しむ悪魔。人が苦しめば苦しむだけ楽しいと思ってるサイコパス。

お前なんか誰にも愛されないし必要ともされない。だから人間に憑りついて不幸にしてやろうと思ってるんだろ?

そう考えると癌細胞は自分が死ぬほど憎くて仕方ない過去にイジメてきた奴のことだと感じる。

止めてって言っても全然聞かずに何度も足を蹴ったり頭を叩いてきた。

集団で無視するように言いふらしたり人前で恥をかくようなことも平気でさせられた。

そんな屈辱的な日々を闘病生活をしている時にふと思い出す。癌細胞は子供の時イジメてきたあいつだ、そうに違いない。

それでもそう思うことで闘病生活を頑張るきっかけにもなった。苦しくてもこの乳がんに勝てばあいつを滅ぼせる。

そんな気がしたからだ。癌細胞は完全に自分にとって憎らしいあいつに成り代わっていたから、思う存分苦しめて誰にも喜ばれることなく息絶えろ。

その強い気持ちだけが自分を完治させるまで頑張らせてくれたのかもしれない。

だから治療が終わった後に言ってやったんだ。お前に居場所なんかない、どう?苦しい?辛い?

その思いが今まで自分が経験してきた辛くてどん底の思いだったんだよ。

これで復讐することができた。惨めに一人で死んでなってね。

あの時確かに乳がんの痕跡は無くなってお前は消えたように思ったけど、再発する恐怖からは逃れられないしまた出てくる可能性は大いにある。

だからこそ言ってやろう。お前が自分の前に現れる度、何度だってお前の存在を消し去ってこの世から葬ってやるからってな。

醜くて不快な顔を二度と見せるな。見せるならグチャグチャに消される覚悟を持てよ。

私はお前を永遠に否定し続けてやるからな!

お母さん

癌を治療しようと思って入院したら、そこで別の病気を発症。そしてそれが命にかかわるなんて思いもしなかったね。

急なことだったから、私たちもお母さんも思い残すことがあったんじゃないかな。

でもね、今考えてみると、その予兆はあったと思うよ。みんなが忠告していたことを覚えている?

家にいたけれど、だんだんご飯が食べれなくなっていたし、みんなが早く病院にいって入院させてもらった方がいいって言ったよね。

それに主治医の先生も早く入院してもいいって、許可をくれたじゃない?

だから多分その時に入院するのがベストだったんだよ。

それなのに、それから2週間家で頑張って、いよいよ入院、治療って時に、別の病気がわかって…。

結局それが原因でがんの治療がすぐに受けられなくなったのはとても残念だったね。

今思うと、素人である私のいうことはきかないまでも、なんで先生のいうことも聞かなかったのかなって疑問に思うよ。

それに、なんで体がきつくなってきているのに、それほど自宅にいたいって言ったんだろう?

もちろんお母さんがやりたいことはわかったよ。でも、それよりも自分の命のほうが大事じゃない?

まずは癌の治療が出来ると先生が言っていたのだから、それを優先するべきじゃなかったの?

結局、すぐに治療が出来なかったために、がんはどんどん大きくなり、お腹が張って苦しくなり、歩くのもままならなくなってしまったね。

私たちはお母さんだから、黙って介護をしたけれど、本当はなんで早く治療をしなかったのか?

それだけが疑問だし、あんなことになるならば、もっと早く無理やりにでも病院に連れて行けばよかったと後悔しているよ。

まだ若かったから、お母さんもやりたいことがたくさんあったんだろうね。

入院するとできなくなることも多かったから、入院前にやりたいこともあったんだろうね。

でも退院してからでもできたんじゃない?

みんなに心配されるなら、まず黙って治療を選択してもよかったんじゃない?

癌になって、みんなびっくりしてたけど、お母さんなら治るかもって期待もあったよ。

急に具合が悪くなって、介護が必要ってなった時みんなどうしようって悩みました。

だってみんなも自分のそれぞれの仕事や生活があるから。

ただ介護に専念することって本当にむずかしいね。いくらお母さんの介護といっても。

だからこそ、みんなが思う良いタイミングでの治療が大切だったと思うよ。

それでうまくいかなくても、みんなが納得できたと思う。

悔いがないと言えばウソだけど、しょうがないと思う部分もたくさんあるよ。

ごめんね。