家内が最初に肺がんと診断されてから10年以上がたちます。
最初はまさか、あんなにお酒が大好きで豪快な彼女がまさかと。
単身赴任していた私はすぐに自宅に戻り、お医者さんのところにすぐにいきました。
診断は肺がんのステージ4。実際には肺に6センチの腫瘍、さらには背骨にも骨転移がある状態。
今考えると、私が単身赴任の間にも多少歩くとゼイゼイいったり、せきがひどいことがその症状の表れだったのでしょう。
気づいてやれなかったことは後悔しかありませんし、本人も。しかし、いつから癌があったのがといってもわからないこと。
それ以来、たまたま彼女の体には肺がんだけをアタックする分子標的薬があうこともあって、正直なところ、大きな副作用もなく生活ができました。
何よりも本人が長女、次女の成長を短い単位で区切り、成長を見守っていくことを目標にして生活していたことがポイントだったのです。
最初は2週間に1回の診断があるたびに癌の抗体ができて、薬がきかなくなるのではないか?転移があるのではないか?と気になりながらも本人が一人で病院にいくことをやめなかったので見守るほかありませんでした。
こうした日々が続き、もちろん、薬が効かなくなっても実はこうした分子標的薬が3回も繰り返し利用することができ、正直知らない方にとってはまさか家内がステージ4の肺がんとは思えないような状態で生活を送っています。
しかしながら、昨年末当たりから少しずつ検査の数値がわるくなりつつあります。
先生からも次に使える分子標的薬もなく、抗がん剤治療を含めた新たなステージに入っていかざるを得ないといわれています。
家内もいつかはこんな日が来ることはわかっていましたので覚悟そのものはできていました。友人たちにもさすがに自らが10年以上にわたってがんと闘い続けていることを告げようと決意した次第です。
有難いことに長女は自らの夢をかなえる多たちでクラシックバレエで生計を立てる、そして次女は母親の病気を治療する分野に進みたいということで生命科学を学び、来年は大学を卒業して就職というところまでこぎつけた次第です。
しかしながら、私自身は家内のいない人生など全く想定できません。
せっかく子供たちが手がかからない年齢になり、これから二人の時間が多く取ることできるようになってきたからこそ特にそう思うのかもしれません。
とにかく医学の進歩、家内の心の強さに期待していきたいと思います。