病院の先生は根治を見込める、根治に向けた治療をと言ってくれたのに、最初のころは既に生を諦めているようなことばかり言っていたよね。
別に自分の人生なんだから、治療するもしないも自分の自由だとは思うよ。
けれどそれを聞いた家族がどう思うのか、どれだけ辛い思いをするのかってことは一切頭になかったんだね。
あなたがそんな言葉を吐く度に、私は死なないで欲しい、助かる見込みがあるのなら出来る限りの治療はして欲しいって心の中で祈るような気持ちで叫んでいたよ。
無事手術も終わって術後治療が終わったあとも、後ろ向きな言葉は変わらず、未だにいつ死んでもいいみたいなニュアンスのことを言うしさ。
「私はいつどうなるか分からない身だから」って言葉は確かにその通りなんだけど、もう大分病状も落ち着いてきて、現状身体の中に病巣はなくなったんだから、少しだけ家族の辛さに寄り添ってくれても良かったんじゃないかな?
あなたは「どうして患者の私が気を遣わなきゃいけないの?」って言っていたけど、患者には患者の辛さがあるように、患者の家族には家族の辛さがあるんだよ。
どれだけ当たられたって、あなたが患者である以上私たち家族はあなたに文句一つ言うことは出来ないし、例え言うことが出来たとしても、あなたは泣いて泣いて暴れるから、逆にストレスが溜まるしね。
「誰も私の辛さを分かってくれない」って嘆いてたこともあるけど、10人に話して10人があなたは間違っていると言ったなら、どうしてそうなのかもしれないって思えないの?
どうして意固地になって自分はこんなにも辛いのに!って感情から抜け出せないの?ほんの少しでもいい、家族のことをちらっとでも見てくれたら、この苦労や努力が報われるようなことを言ってくれたら、それだけで私たちも頑張れるのに。
私たちだってただの人で、ましてや医療従事者というわけでもないんだから、ただただあなたの辛さを受け止めるサンドバッグにはなれないよ。
そりゃあ実際病気を患っていて治療をするのはあなただし、辛い思いをするのもあなた自身なのかもしれないけれど、治療っていうのは患者と家族の両方が支え合って進んでいくもんじゃないの?
再発が起きていないか確認する検査にも文句ばっかり。そして血圧が少し高いだとか、そういった異変が起きて病院に行って欲しいとお願いしても「面倒臭い」で終わらせる。
どうして折角助かった命を蔑ろにするのか、私には理解出来ないや。
あなたが生きることに対して悲観的になる度に、私も生きることが本当に嫌になる。
その病気、私が肩代わり出来たら良かったのに。そしたら同じような台詞をあなたに吐けたのにね。”