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  • がん細胞デスノート

    がん細胞に消滅してほしい。毎日思っている。

    -がん専門無料SNSコミュニティ-

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がん細胞DEATH NOTE-日本で唯一がん専門無料SNSコミュニティ- Latest デス書き込み

おい、癌細胞よく聞いとけ。私はまだあの時43歳だったんだぞ。

40代で癌になるとか1ミリも考えてなかったよ。

人よりも添加物とか気にして自分や家族の食べるものに気をつけて食材を選んで料理作ってきたんだよ。

しかも私は飲み物はお茶と水しか飲まなくてそんなに糖分もとってなくて健康的に生きてきたつもりだよ。

なのにこんなに早く癌になるなんて、食材とか全然関係ないのかよ!

運動だってバドミントンがんばってたのにさ、もう結局何したら癌にならないんだよ。

教えてくれよ!スポーツも食事も気をつけてもなるってじゃあなんなん。

めっちゃ暴飲暴食して太ってる人でも癌にならない人はならないじゃん。

もうこれは運なの?抗うことの出来ない運命って受け止めるしかないってこと?

私の母さんはおまえのせいで苦しんで死んだんだよ。あの時お母さんと替わってあげたいって思ったよ。

思ったけどさおまえ替わらせてくれなかったじゃん。なのに今更私のところに来るなよ。

もうお母さんと替われないんだからさ。私は20代で両親亡くしてるし、夫ももう両親いないんだよ。

まだ子供達が中学生と小学生なのに祖父母もいない子供達が私が居なくなったらどうするんだよ!

お父さんしかいなくなるんだぞ。お父さんに何かがあったら中学生と小学生だけ残されてどうしろっていうんだよ!

それにまだまだこれから成長していくんだよ。せめて孫の顔くらい見させてくれよ。

私の母さんは楽しみにしてた孫の顔見れなかったんだぞおまえのせいで。

私は絶対孫の顔が見たいんだよ。だからおまえ私のところにくるのまだ早すぎたって。

私が何したって言うんだよ。納得いくように説明してよ。

あとな私の母さんは自分があと数日の命だって時に、おまえが私のところに来ませんようにって、自分が死ぬことよりもそっちをすごく心配してたんだよ。

あんなに心配してくれたのに私の体にもやってきやがって。そして今私は母さんと同じ心配を子供達に対してしてるんだよ。

私の命よりも大事な子供達のところには絶対にやってくるんじゃないぞ。覚えとけ。

だいたい人の体の中に勝手に入ってきてさ、図々しいんだよ。あんたが私の中で増殖して私がもし死んだら、あんただって死ぬんだよ。

それくらい考えろよバカじゃないの?

今はあんたはもう私の中にいないと思ってるけど、もしまた勝手に入ってきたら絶対に許さないから。

今は毎日霊芝を飲んでおまえを侵入させないように防御してるからな。

おまえなんかおまえなんか本当に死んでしまえよ。日本の研究者舐めるなバカヤロー。

今におまえを破綻させるものを作ってくれるからな。楽しみに待っていろよ。

父親が肝硬変と肝臓癌を併発して手術ができない状態で余命3ヶ月と言われた時は目の前が真っ暗になりました。

私は一人っ子なので叔父と叔母に話して本人には病名を知らせないことに決めました。

当時夫の両親が近くに住んでいて何かと用事を頼まれる事が多かったのですが父の看病が始まってからも遠慮なく頼んできて断ると嫌味を言われました。

あと僅かしか生きられないとわかっていて少しでも傍にいてあげたいのに義父母は思いやりの欠片もない人達でただでさえ辛いのに心が折れそうになりました。

父は何度か危篤になり持ち直してくれましたがそのことに関しても義父がわざとやってるんじゃないかと暴言を吐き夫が何も言ってくれなかったのには失望しました。

父は末期癌でしたが幸い痛みはそれほどでもなく意識もしっかりしていて会話も普通にできたので何を言われても毎日病院に通ってできる限り付き添いました。

父の兄弟がお見舞いに来てくれて励ましてくれたのがとても大きな力になり父も私も救われたと思います。

子供達もお見舞いに行って父と話す時間を作ってくれてうれしかったです。

義父母と夫は全く病院に行くこともなく私が行くのもよく思っていなかったと思います。

私も父もあの人達にとっては他人だから病気になったのも迷惑くらいにしか思っていなかったんじゃないかと思います。

入院中お盆になって義父母が義妹の家に遊びに行きたいと言い出した時は心の底から腹が立ちました。

明日どうなるかわからないと言われている父を無視して曾孫を見に行くと言い出したんです。

表向きは墓参りという事でしたがこの状況でどうしても行かなくてはいけないことだとは到底思えません。

しかも義父母は夫の車を当てにしていて送って行けと言わんばかりで話になりませんでした。

本当に頭にきたのでもしお葬式になっても帰ってこなくて結構ですと言ってやりました。

石川県まで車移動するのだからもしものことがあっても間に合わないでしょうし私の親族だけ集まればいいと本気で思いました。

結局義弟が石川県まで送って行きましたがその時にすぐにはくたばらないと言っていたそうです。

お盆休みには叔父たちが入れ替わりにお見舞いに来てくれて父の状態も悪くなかったので皆とゆっくり話す時間を持てました。

あの人達がいなかったので私もずっと病院にいることができて却って良かったのかもしれません。

腹水がたまっていて何度も抜いてその度に父は衰弱していきましたが8月末まで頑張ってくれました。

亡くなる日は私も子供達も意識のあるうちに会うことができ私と娘で看取ることができました。

段々と死に近づいていく父を見ているのは辛かったし思うように看病できなかったのが悔しかったです。

本当に父の事を思いやっていたのは父の兄弟達と私の子供達だけだということがよくわかりました。

ついに来ましたかガン細胞の皆さん、いずれ来るのは覚悟していましたが、今はまだ早すぎるのでは?

もう少しゆっくりと過ごしてください。ガン細胞さん、一緒に仲良く暮らしませんか?

良性なら問題ないので、何とかなりませんか?もし、悪さをするなら、わたしは徹底的にあなたと戦います。

もちろん、放射線治療、内分泌療法(ホルモン療法)などガン細胞さんが苦手なものを駆使して徹底的にあなたと戦います。

また、わたしは一人ではありません。家族や子供、友人、先生方など強い仲間が沢山います。

それでもガン細胞さん、わたしと戦いますか?どうしますガン細胞さん。わたしは、何度も忠告しましたよね!

それでもガン細胞さんは悪さをするつもりですか?分かりました。それなら戦いましょう。

ガン細胞さんが私たちの生活の前に現れてから、家族の表情がとても暗くなりました。

この苦痛、この恨みは決して忘れません。逆にこの表情を見て、わたしの決心も固まりました。

どんなことをしても、ガン細胞さんに打ち勝ちます。孤独なガン細胞さんには分からないと思いますが、待っている人がいる強さを思い知ってもらいます。

はじめのうちは、薬の投与による副作用は想像以上に辛かったですが、ガン細胞さんが喜んでいる姿に負けるわけはいきません。

副作用による気持ち悪さ、頭痛、味覚障害なども慣れてしまえば、どうってことないです。

ガン細胞さんに負けることを考えたら、こんな苦痛など大したことありません。

投与を繰り返すうちにガン細胞さんが小さくなってきます。どうだ!降参しますか?ガン細胞さん。

本当に往生際が悪いですねガン細胞さん。そこら辺のしつこさと、執念はある意味尊敬します。

ただ、相手が悪かったですね、ガン細胞さん。現代医学の進歩を忘れてはいませんか?

少しもわたしの体内に残しません。完全にガン細胞さんを消滅させます。覚悟していてくださいね。

数か月後、どうだ参ったかガン細胞さん!完全にあなたの存在が見えなくなりましたよ。

二度とわたしの前に現れないで下さい。もちろん、わたしの家族や友人達の前にも表れないでください。

もし、ガン細胞さんが寂しくて心を入れ替えるのなら、良性に生まれ変わって来てください。

今回は大事にならずに済んだから良かったですが、もし、再びわたしの前にガン細胞さんが現れた時には、今よりももっと進歩した医学兵器であなたの存在自体を完全消滅させます。

決して脅しではありませんよ!ガン細胞さん。

拝啓
私の大嫌いな癌へ

私がたまたまガン専門病院勤務だったのでまだ良かったがもし君があと50年ほどして、私が退職してから見つかってきたらと考えたらゾッとする。

君と割と長い間共存しないといけないと担当医に伝えられた時、もう私の人生はほとんど終わったと思ってしまった。

まだ私は結婚もしてないし子供もいない。夢もあるがまだ達成出来ていない。

やりたいことはたんまりあるのに君との長い付き合いで時間やお金、メンタル的なもの、人間関係まで全て崩れてしまったと思った。

幸い現代医療はだいぶ進んでいるので大した痛みや副作用も少なく治療できる方法が見つかっていたので安心して治療できたが不安はもちろん少なからずあった。

その私の心境も併せてここに綴る。

君が私の体に侵入してきたとき、私は驚きと共に深い失望を感じました。

君は静かに忍び寄り、その病巣を拡大させることで、私の健康や幸福を奪いました。

この手紙は、私が抱く君への不満や怒り、そして一方で君との闘いを通して学んだ教訓について語ります。

最初に、君が私にもたらした身体的な苦痛について言及せざるを得ません。君の存在は私の体を侵食し、細胞を乱しました。

手術や治療によっても、君が私を離れようとはしませんでした。

そのたびに感じる痛みや苦しみは、日常生活を取り戻すことの難しさを象徴しています。

また、君は私の心にも影響を及ぼみました。不安、恐怖、そして未来への不確かさによって、私の心は揺れ動きました。

君が与えた精神的な負担は計り知れません。しかし、その中で見つけた強さと希望は、私の人間性を深め、成長させました。

君に対する不満や怒りは時折、心を重くするものですが、同時に君との戦いが私を変えたことも認識しています。

君が引き起こした逆境に立ち向かうことで、私は自分の強さや覚悟に気づきました。家族や友人たちの支えにも感謝しています。

君が引き起こした危機が、私の周りの人々との結びつきを強めるきっかけとなりました。

そして、君との戦いが教えてくれた最も重要なことは、一日一日を大切に生きることです。

君が私の人生に訪れた制約や不確かさにもかかわらず、私は君に屈せず、前進し続けます。

君が私にもたらした困難な瞬間も、新たな価値観や目標を見つけるきっかけとなりました。

この手紙を通じて、君に対して不満を述べるだけでなく、君との遭遇が私を形作り、強くするプロセスであることを理解しています。

君は私の人生に一部として存在し続けるでしょうが、私は君に負けない強さと決意を持ち続けます。

敬具
もう君が怖くない私より

自分はいままで大きな病気になったことは一度たりとてありませんでした。

普段生活している中でなんとなく胃の調子が悪く、なかなか解消されなかったのでかかりつけの病院の主治医に相談して国立の大きな病院で検査をしたところ、胃にがんができていてとてもショックをもらいがっかりしたことを今でもよく覚えています。

最初は、「なんで自分ががんにならなきゃいけないんだろう」とがんをとても恨み、頭にだいぶ来る毎日を送っていました。

暴飲暴食をしているわけでもないし、お酒もたしなむ程度で規則正しい生活を毎日送っていたので、「なんで俺がガンになるんだ、意味が分からない、がんのヤロー、ふざけるな!!」という思いでいっぱいでした。

そして見えない恐怖や不安な気持ちでいっぱいでしたが、担当の先生や看護師の方たちの説明や話を聞いて、「まだ初期のがんなので治るから大丈夫だ」という話を聞いて勇気づけられ不安な気持ちが少しでも払拭できたことは皆さんに今でもとても感謝しています。

私の母方の祖母は私が小学校5年生の小さい時に胃がんで入院していて病院で亡くなったことを経験しているので、がんは遺伝するのかもしれないとなんとなく感じていました。

また、母の妹も現在、胃がんで入院して手術や治療をしていますが、そういった経緯をみると遺伝も関係ありそうだと正直なところ感じています。

がんに対して言いたいことは自分はまだ50歳にもなっておらず、仕事もバリバリやっており、まだまだやりたいことも、成し遂げたいこともたくさんあるので、「どうか私の体をこれ以上むしばむのはやめてくれ!!」と言いたいです。

妻や子供もいて大切な家庭があり、「がんなんかに殺されてたまるか」という気持ちでいっぱいです。

がんになったせいで医療費などの負担もそれなりにあって家計的に厳しい状態も経験したので、これ以上がんに自分の人生を邪魔されたくないので、「私の体から完全にいなくなってくれ」と強い思いを持っています。

一度がんになると治ったとしても数年後に転移して再度入院したり、進行が早ければ命の危険なども考えられるので、がんに言いたいことは「どうかこの先がんが再発することなく、天寿を全うさせてくれ!!」とも言いたいです。

がんという病気にかかった人は病気の進行状況や体の調子にもよると思いますが、みなさんは私と同じ気持ちを持っていると思います。

最後に「世の中からがんなんかなくなってしまえ!!」と言ってやりたいです。

病院の先生は根治を見込める、根治に向けた治療をと言ってくれたのに、最初のころは既に生を諦めているようなことばかり言っていたよね。

別に自分の人生なんだから、治療するもしないも自分の自由だとは思うよ。

けれどそれを聞いた家族がどう思うのか、どれだけ辛い思いをするのかってことは一切頭になかったんだね。

あなたがそんな言葉を吐く度に、私は死なないで欲しい、助かる見込みがあるのなら出来る限りの治療はして欲しいって心の中で祈るような気持ちで叫んでいたよ。

無事手術も終わって術後治療が終わったあとも、後ろ向きな言葉は変わらず、未だにいつ死んでもいいみたいなニュアンスのことを言うしさ。

「私はいつどうなるか分からない身だから」って言葉は確かにその通りなんだけど、もう大分病状も落ち着いてきて、現状身体の中に病巣はなくなったんだから、少しだけ家族の辛さに寄り添ってくれても良かったんじゃないかな?

あなたは「どうして患者の私が気を遣わなきゃいけないの?」って言っていたけど、患者には患者の辛さがあるように、患者の家族には家族の辛さがあるんだよ。

どれだけ当たられたって、あなたが患者である以上私たち家族はあなたに文句一つ言うことは出来ないし、例え言うことが出来たとしても、あなたは泣いて泣いて暴れるから、逆にストレスが溜まるしね。

「誰も私の辛さを分かってくれない」って嘆いてたこともあるけど、10人に話して10人があなたは間違っていると言ったなら、どうしてそうなのかもしれないって思えないの?

どうして意固地になって自分はこんなにも辛いのに!って感情から抜け出せないの?ほんの少しでもいい、家族のことをちらっとでも見てくれたら、この苦労や努力が報われるようなことを言ってくれたら、それだけで私たちも頑張れるのに。

私たちだってただの人で、ましてや医療従事者というわけでもないんだから、ただただあなたの辛さを受け止めるサンドバッグにはなれないよ。

そりゃあ実際病気を患っていて治療をするのはあなただし、辛い思いをするのもあなた自身なのかもしれないけれど、治療っていうのは患者と家族の両方が支え合って進んでいくもんじゃないの?

再発が起きていないか確認する検査にも文句ばっかり。そして血圧が少し高いだとか、そういった異変が起きて病院に行って欲しいとお願いしても「面倒臭い」で終わらせる。

どうして折角助かった命を蔑ろにするのか、私には理解出来ないや。

あなたが生きることに対して悲観的になる度に、私も生きることが本当に嫌になる。

その病気、私が肩代わり出来たら良かったのに。そしたら同じような台詞をあなたに吐けたのにね。”

家系的にもお前のせいで若くして亡くなった人や、最期に苦しい思いをして亡くなってしまった人もいるし、本当にお前はなんで私の大切な人を苦しめるんだろう。

お前は一緒にいなくならずに、また他の人の元にやってきて苦しめての繰り返しで本当に嫌になる。

どうにかお前がこの世の中の病の中からいなくなって、ガンで苦しむ人がいなくなる方法はないのかなとずっと考えていた時期もあったけど、きっと無理なんだろうな。

お前を消すためにはお前が発生しないようにするか、早期発見しかないのかな。

普段なら催眠療法とか怪しいと思って絶対に手を出さないジャンルだけど、流石に身近な人が何人もお前に苦しめられているのを見ると何にでも頼りたくもなるよ。

お前が現れることで幸せになる人なんか、本当に1人もいないよ。お前だってあまりに悪さすると本人と一緒に消えてしまうんだから、そこそこにして去って行ってくれたらどんなに良かったか。

こんなにも痛みにもがき苦しむんだなと、見ているこっちが本当にしんどくなるし家系的なものなら今後私も同じようにおまえに苦しめられる時がやってくるのかと想像すると、それだけですでに精神的にまいりそうだよ。

若い人の方が元気だからこそガン細胞も活発になってしまって、進行が進むと聞いた時には本当に嫌だったし、若くてそもほもは健康な人でもダメならもうどうにもならなくないかなって絶望の気持ちもあるよ。

私の大切な家族や知り合いの中には、お前のせいで過酷な治療を強いられて、こんなふうに生きているなら死んだ方がマシだと言っていた人もいた。

確かに美味しいものも食べられなくて、治療のための薬でも苦しんで、だけど治療をやめたら生きることを諦めたと周囲の人を悲しませてしまうから、そうならないために苦しい治療を続けているって聞いた時には、病なのに他人の気持ちのことを考える素敵な人もいるんだなって感動したし、どうしてそんな素敵な人の元にお前がやってくるんだよって本当に恨んだけどどうにもならないもんね。

どうせやってきたなら、もっと早い段階でやってきたよってアピールしてくれたら早期発見になって、こんなに辛い思いをすることなく過ごせていたかもしれないのに。

手遅れかどうかギリギリの段階でとりあえず治療して、命を長らえるというのは精神的にきついし心が強かった人でも、本当に参ってしまうんだよ。

もう私の人生や周囲の人の元には来ないでください。

母さんへ。本当によく頑張ったと思う。初めの白血病が発覚したのは、10年前位だったかな。

夏で体がだるいって言ってた。打ってもないのにあざがあって、妹となんでかな?って言ってたよね。

でも病院に行く決め手になったのは、母さんの友達の看護師さんのひとことだったね。それも、病院行ったら、即入院。

あと数日遅れてたら、危なかったって言われてて、その友達が鋳なかったら..って思うと。命の恩人だよね。

白血病で入院するって知ったのは、会社の転勤する人の送別会で見たメール。白血病って’世界の中心で、愛をさけぶ’ってな映画のイメージしかなくて。

帰って一人で泣いたなぁ。。

10年前は今より医療が発達してなくて、面会に行ったら、抗がん剤の副作用で、髪の抜ける姿や、顔色が悪くなっている様子を見るのがしんどかった。

味覚も変わったみたいで、〇〇買ってきてってよく言ってたね。

1回目の白血病の寛解前、先生にどうしても検査してほしいって頼んだら、まさかの再発。そのまま、検査を頼んでなかったらどうなってるんだろうって思った。

年齢的に骨髄移植は難しくて、また違う方法だったけど、それもなんとかクリアして、あれから7年位かな?違う病気で入院してて、いろんな検査して、もしかしたら白血病かもしれないって言われた時はなんで?って思った。

でも、それを1番感じたのは母さんだよね。再発して、何の問題もなく生きてたのに。
なんで今頃?って。原因は、初めの白血病の副作用??

しかもその時余命宣告されてたよね。何万人に1人位にしかならない稀なことで、なんで母さんに?って思ったよ。他にも病気抱えてたのに。

その時、家にいたのは父親と私。母さんは入退院を繰り返してて、退院してる時に、父さんが脳梗塞で倒れちゃったね。

でも、奇跡的に脳の後遺症だけで済んだね。あとちょっと遅かったら..って言われて。

二人とも入院してる中、じいちゃんの初盆で..お盆の準備を一人でやったのも懐かしいな。父さんが退院して、父さんとの生活がしんどくて、よくラインしてたね。

去年の秋、入院するか、通院治療するかって選択があって、自宅で通院治療って決めたね。私には黙ってたけど、本当は年を越せるかどうかだったんだね。

15キロ痩せたけど、そろそろ亡くなる人って感じはしなかった。秋頃から体調悪くなって、熱出たりして、ご飯も食べなくなって。そんな姿見るのは辛かった。

だけど、どうしてもって、合唱の大会を見にいったね。

駅まで送ったのが、母さんの元気な姿を見た最後で。その2日後、意識がなくなって、その2日後、一人で静かに息を引き取ったね。

いきなりの体調の変化に、面会して変わり果てた姿を見た時は涙が止まらなかった。

去年の4月、弟が帰ってきてお世話は楽になったけど、毎週木曜日の診察の送り迎えは私がしてて、時間に余裕がなかったのを思いだすよ。

仲の良かった学生時代の母さんの友達は、49日の前日に、5時間もかけて会いに来てくれたよ。

その友達から、母さんが私にすご感謝してるって電話で言ってた話をしてくれたよ。お世話をしてて辛いこともあったし、亡くなって辛かったけど、それで、一気に楽になった。

そんな友達を持った母さんを羨ましいって思ったし、亡くなる1週間前、歯医者に行ってたんだね。

受付のお姉さんから、突然で驚いたってお悔やみの言葉をもらったよ。

母さんが亡くなって2日後から私は仕事に出なくちゃいけなくて、多分短時間しか働いてないからだけど、気持ちの切り替えが本当にしんどかった。

いつも助手席に乘せてた車に乗って、仕事終わったら涙が止まらなくて。

だけど、そんな時何故かいいお客さんとかに出会ったんだ。

それで助けられたよ。母さんのエンディングノートに、ちゃんと会いに来てほしいって書いてたから、母さんが亡くなってから、月命日の前後に会いに行ってるけど、気づいてるかな?

また、会いに行くね。今までありがとう。

長年、肺に居座っておいて、出て行けと言えば宿主を攻撃する糞野郎だよ、お前は。

普通、家賃も取らずに住まわせてやっている人物に対して出て行けと実力行使をした際、相手を攻撃しますかってんだ。

今日日、テロリストでもルールを守り、相手を攻撃したり割いてをさらったりして自分たちの要求が通るよう仕向けるというのに、肺がんの野郎はそうではなく、殺戮を繰り返すだけ、兵隊でもルールを守り相手を攻撃したりするのにお前は単なる邪魔者で分別が無い糞野郎だ。

しかもお前は、肺に癌細胞以外に肺気腫という恋人のようなものを居座らせた挙句、肺という一つの賃貸に穴をあけるような恋人まで連れてきた。

だからお前らは糞野郎で間違いないんだよ。普通の人間や普通の人間に対して有益な細胞や有益な菌類は人間に対して家賃という恩恵を与えるんだよ。

ビフィズス菌を見てみろ、あの者たちは腸内に住む代わりに町内の環境を整え、腸内フローラというものを長の中に作り出すことで有益な賃貸料を腸に対して払ってんだ。

それが肺がん細胞はどうだ、勝手に肺内にいる住民である免疫まで壊していき、肺という賃貸物件に穴をあけていく、穴をあけるだけは飽き足らず、気管支という空気が通る通り道までふさぎ、肺内にいるほかの住民を窒息死させようとするなんて、犯罪者だとしか言えない。

そしていざ、自分たちの悪行がバレるとどうだ、医師という人物が繰り出す放射線という強制立ち退き行為に抗い、さらに宿主を攻撃する、宿主が弱り切ると当の肺がん細胞そのものも死んでしまうというのに馬鹿であるとしか言いようがない存在だよ。

人間に寄生して生きている分際であるのに、いざ、人間がその存在に気が付くと人間を攻撃し殺害までするのはどう考えても非道徳的だ。

だから、医師たちはお前たち、癌細胞という存在に対して徹底して排除をするわけだ。今後、おそらくだが、お前たち肺癌は科学技術というものに恐れをなすことであろう。

なぜなら、放射線治療という方法以外にも癌の駆逐する方法というものが新たに生み出されていて特定のがんだけを攻撃する技術まで生み出されようとしている、今回はお前たちの勝ちで私の父の命を奪い取ることができたから満足だろうが、次はそうはいかない。

今度はお前たちすべてが根絶される番だ。人間の化学力は邪魔者を排除するために生まれる技術も多く、お前たち癌細胞は追われる立場になり、人間たちからはあきらめという形で癌と共存しようという考えはなくなるだろう。

最後にもう一度言う、お前たちは勝ったつもりだろうが次はないと思え。

お父さんはずっとお酒とたばこをやめない人生だったから、肺がんと聞いたときも驚かなかったよ。

でも今思えば、最初は方の骨が痛い痛いと言い出して、やさぐれてお母さんの助けなんか絶対受け入れたくない姿勢を何十年も貫いてきたガンコなお父さん。

弱音を吐いたのには驚いたけど、もうその時には見栄を張ってた分発見が遅くなって骨まで転移してたゆえの痛みだったんだと後から分かったよね。

くだらない見栄と、いい大人がやさぐれて頑固になることって本当に愚かだなあ、虚しいなあと思いながら、一報を聞いて慌ててチケットを買ったその飛行機の中でなんとも言えない気持ちになりながら空を眺めていたのを思い出すよ。

お父さんはなかなかお母さんの前で素直に慣れずにやさぐれていたから、そこから9か月の家族皆からの甲斐甲斐しい介護に気恥ずかしさを感じていたよね。

お母さんも私たち子どもたちもいつでも助けになろうとしてたのにそれをつっぱねて距離を作って放っていたのはお父さんの方だってことが最後の最後に伝わって良かったと思ってるよ。

病気は大変だけど、お父さんが素直になってお母さんに感謝したり、助けを受け入れたり、一緒にご飯を食べて団らんしたりする当たり前の夫婦の関係に人生最後で戻れてそれが何よりだったと思ってるよ。ずいぶん時間かかったね。

そしてこうやって本当に大変な時に支えてくれる妻や子供たちのことを今まで放っておいて、好き勝手にどうでもいい人たちのために時間やお金を使って交友を楽しんできたことを心の底から後悔してほしい。

本当に大切にしておくべきだった人の存在に気付くのが遅いことほど愚かなことはないんだよ。

お母さんが心が大きい人だったから許して受け入れてくれたけど、本当に過分の助けをしてくれたと思うし、頭があがらない思いでいるべきだと思う。

私たち子どもにはいいけど、妻のお母さんに対しては、敬意をこめてはっきりと謝罪と感謝の言葉を口にすべきだと思う。

それができて初めて人として生きている価値があると思う。身近な人の死が近づいて私も感慨深かった、人としての人生の意義ってなんだろうって。

それはまず一番身近な家族からの信頼を勝ち得て、いつ何があっても後悔のない振る舞いを通して敬意と感謝を込めた接し方をすること。

それから次に信頼できる友人たちを作り、自分も友人たちにとって信頼できる忠節な人でいること。

最後に自由と健康などの余裕があれば、社会にとって助けになるような存在になるよう努力すること。

この真逆の生き方していたとしたら、その人は人としての価値はどのくらいなのだろうと。正直あなたの生き方を通してこれらのことを反面教師として学びましたと伝えたい。