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がん細胞DEATH NOTE-日本で唯一がん専門無料SNSコミュニティ- Latest デス書き込み

前から調子が悪いことは知っていた。家の近くの小さなクリニックに通って、治療し始めたことも何となく分かっていた。具合いが悪いことは知っていたけど、笑って話すからそんなに深刻な状況だなんて分からなかった。

仕事は程々に、やりたいことやって遊んでいるから全然把握してなかったよ。

知らない間にいつの間にか大きな病院に行くことになり、大きな検査もしていた。自分がどんな症状でどんな病気なのかは一切言わない。家族にもほとんど内緒で積極的な治療をしないことを勝手に決めていた。

先生には相談していたみたいだけど、本人の意志が硬すぎた。先生にそう説明されたときのこっちの気持ちも考えてよ。自分勝手過ぎるよ。

何で勝手に決めるの?何で誰にも相談しないの?もしかしたら積極的に治療して、リハビリとかすれば完全に元通りとかにはならないかもしれないけど、ずっと生きられるかもしれないじゃん。楽しく皆と出掛けたり、美味しいご飯食べたり。好きなもの作って振る舞えたのに。

1日中家のベッドで過ごす必要もないじゃない。自分でトイレに行くことも難しい、そんな状態にならずに済んだかもしれないのに。大好きなご飯だってほとんど食べられなくなってきて、お粥でさえ吐いてしまって。

自分勝手に何もかも決めないでよ。看病するこっちの気持ちも考えてよ。夜中に起こされて水だ、薬だ、参ってしまうよ。家族で交代で夜中に看病しているけど、肉体的にしんどいというより、精神的に辛い。

本人は幸せかもしれないけど、日に日に弱っていく姿を見るのは辛いよ。大好きだった野球も見れないじゃない。好みの洋画も一切見てないじゃない。何のために治療を諦めたの?楽しいこと自分から遠ざけて何がしたいのか全く分からない。

ちゃんと何がしたいのか、どんな日々をこれから過ごしたいのかハッキリ言葉にしてくれなくちゃ分からないよ。何も言わずにただ耐えていればいいの?それでほんとに幸せなの?助けてって言ってくれれば何かしてあげられるよ。

一人で抱え込んで耐えようとしないでよ。痛いも辛いも言ってくれないと何も出来ないんだよ。

何も言わなかった癖に、残り僅かになると入院したいと言い出すし。もっと早く入院して、しっかりとプロに診て貰ってよ。そっちの方が安心だし、父も楽だと思うのに。家族で過ごしたいのも分かるけど、こっちの心配事も分かってよ。

痛み止め打ってくれて楽になったでしょ?治療しなくても楽になれるんだよ。それだけでこっちの荷がおりた気がした。少しでも穏やかに過ごしてほしいから。まだまだ戦いは続くのか分からないけど、こっちも精一杯やってるんだから。

母さんへ

母さん、私はあなたの実の息子ですよね。大切な親だからこそ、こうして毎日仕事の合間をみては看病に来ています。でも本心を言えば私も本当に辛いんです。
弱って行くあなたを見るのが一番つらいんです。少しは私の気持ちも分かって下さい。

私が50歳を超えた頃に母さんが認知症を発症、段々と症状が悪くなり最近では私のことも良く分からなくなり暴言を吐いたり、介護士さんや看護師さん達にも
迷惑をかけている母さんの姿を見て本当に辛いです。あなたは本当の母さんなのに何故か遠くの人に感じるようになった自分がいます。私を忘れないで下さい、母さん頼みます。私はいくつになってもあなたの子供ですよ。

母さんが認知症を発症したころを思い出します。
認知症を発症した当初は、親だから面倒をみるのが当たり前だと思っていましたし、今まで愛情をもって育ててくれたことに感謝していたからこそ、続けることが出来たんです。

段々認知症が進んで行く母さんをみて、私は自分に出来る限界を感じ現実を受け入れることが出来なったことを覚えています。
色々な介護施設を回っては、平身低頭お願いをして,漸く特養に入れた時は天にも登る程嬉しく、これからは私にとっても母さんにとっても平穏な人生を送ることが叶うと思っていました。しかしその夢は儚く消え、先日の健康診断の結果大腸癌が発覚し緊急手術を行ないましたよね、覚えていますか。
認知症のため痛みも分からないのですか。母さん 訳が分からないことを言って笑っているのは何故ですか、母さんの本当の気持ちは私には分かり様もありませんが、本当に悔しいです、辛いです、,無念です、悲しいです。母さん、私の気持ちが分かりますか、分かると言って下さい。

どうか早く病気を直して、また昔の様に優しく私に話しかけて下さい、好きだった温泉に行きましょう、美味しい煮物を作って下さい。その夢をもう一度だけ
叶えて下さい。
叶うなら、あの頃に戻りたい、現実から逃避したい。
でも、もっと心から本心を言えば「ふざけるな」と言いたいです。

母さん、酷いことを言ってしまいゴメンね。
あなたには絶対に言えないけれど、これが本心だよ。

もし、あなたが昔に戻ってくれるなら、今の内に医学や介護を学び、将来起こる出来事の為に備えておきます、母さんの部屋もそのままにしてありますので、
いつでも帰ってきて下さい。その時のためにこれからも毎日病院へ通います。

最愛なる母さんへ不肖の息子 より

何でもう少しマシな病気で出てこなかったんだ。
確かに体を酷使して仕事をしていたのは事実であり、ある意味仕事をする俺をストップ掛けたかったのかもしれない。
その気持ちはよくわかった。
でも、子供が生まれる2日前に医者から癌だと言われるこっちの身にもなれよ。嫁の気持ちも考えてやってくれよ。
まあ、半年も血便をだしておいて病院に行かずに放置したことは俺も悪かった・・・。
でもさ~、癌を取ってからも抗がん剤治療中なんて、双子の子供が夜泣いてミルク欲しがるんだよ?
そりゃへばっている嫁をおいてキッチンで夜な夜なミルクを作りながら、抗がん剤の影響でミルクのにおいで吐き気を起こすんだよ??
も~、あの半年近くの治療は人生で1・2の大変さだったよ。

これなら胃潰瘍でした~ってくらいのレベルであってほしかったよ。
周りの人からも気を使われるし、癌患者として5年間は検査をしていかないといけないんだ。
大腸カメラなんて前日はご飯食べれないし、当日は下剤飲むし、検査時にはカメラ突っ込まれるし・・・・
造影剤CTを取るときなんて、針入れたらなんか気を失うし・・・・。
もうお前がいなけりゃ治療や検査でお金使わなくても良かったのに・・・・。
もう二度と俺の前に現れないでくれ、頼む!

一見面倒見が良いけど、裏でコソコソ嫌がらせをしていた義母。
嫌味を言ったり、なぜか満員電車の中で私の体型を笑うようなことを言ったり。
約束を反故にされることもしょっちゅうだった。
でも、明るく友人が多く、ちゃんと言いたいことを言える義母。
そして、うまく自分の気持ちを話せず、太っていて臆病な私じゃ義母には勝てない。

そんな義母が癌になった時、何とも言えない気持ちになった。
大好きな人の母親だから、自分にできることはしたい。
入院中はお見舞いもたくさん行って、頼まれたことはして…
「ありがとう」は言ってくれたけど、人のいる前でだけ感謝の言葉を言うことに気付いてゾッとした。

私一人で行っても「あーうん」くらいしか言わない。
それでいて、ラインであれこれ要求してくるのがたまらなく嫌だった。
ナチュラルに上から目線。
根っからの悪い人ではないのかもしれないけど、
私にとっては苦痛の塊そのものだった。

抗がん剤は相当辛かったと思う。
年の割にフサフサだった髪の毛は抜け落ち、結局頭を剃った。
その時にあなたが言った「◯◯ちゃんは抗がん剤使ってないのに髪の毛が抜けるよね」という言葉が忘れられない。
私はホルモンの関係でものすごく髪の毛が抜けやすい。
薄毛というより、ハゲレベル。
気にしていることを知っていて嫌味を言ったのが、強烈だった。
自分がすごく辛い時でさえ、人に嫌味を言う元気はあるものなんだなぁ。

結局癌は良くならず…
いつまでも入院していられないので、入退院を繰り返すことになった。
当時隣の市で別居していたけど、義父と大学生で忙しい義妹ちゃんだけでは、面倒を見きれない。
在宅で仕事をしている私の手が必要だと言われ、同居することになったけど、苦痛で苦痛で苦痛。

私が下の世話をするとため息をつく。
やり方が悪かったのかと聞くと「別にーでも、もうちょっとうまかったらねぇw何やっても下手だねぇ」と笑う。
あーイライラする。

私、介護系の家族講習に何度も参加していて、プロの方からも褒められている。
逆にこういう仕事してるんですか?と聞かれるくらい。
そのくらい、頑張った。
あなたのことは大嫌いだけど、夫のことは大好きだから。
なのに下手って言われるんだ…
要するにこれ、ただの嫌味とか嫌がらせだよね。

夫はおばあちゃんを病気で亡くした時に、あまりお見舞いに行けなかったことをずっと後悔している。
これ以上家族のことで後悔させたくないから、私もできることは頑張っている。
当然、ねぎらってほしいとか、そういう見返りを求めてはいない。
ただ、世話をしてもらってる立場で嫌味を言うこの人の人間性が、本当に嫌いで嫌いでたまらない。

でも、自分は間違っていなかったんだなという気持ちにもなる。
結婚当初、ダメな嫁としっかりとした姑という感じだったけど、
ほら見ろ、この人はただの性格の悪い人なんだ、と完全に理解することができたから。
義母を良く評価して私を悪く評価していた人たちは、間違っていたんだよ。
そう言いたいけど、言えない。

最近、義母の部屋だけではなく家全体が臭くなってきた。
抗がん剤も放射線治療も、もう出来ない。
後は最期を待つだけになる。
今はホスピスを探しているところ。

痛いからと、最近では物を投げたり、認知症の人みたいに、ひどい言葉を言うようになってきた。
その段階になって、ようやく義父や義妹が気付いてくれて、私に対して前より感謝してくれるようになったけど…
それでも、義母のことが大嫌いだという気持ちは、一生消えないと思う。

わけのわからない価値観で、理解ができない。お母さんを苦しめる。お父さんをコントロールしようとする。私たちを味方に付けようとするけど魂胆がみえみえ。おばあちゃんのことは正直あんまり好きじゃなかったし、おばあちゃんみたいになりたいとも思わなかったよ。

認知症で更にわけがわからなくなり、家族を困らせて。まぁ、それも病気だから仕方ないけど。いつも悲劇のヒロインで、人の目気にして、おじいちゃんが亡くなってからのおばあちゃんの人生に楽しいことはあった?

自殺しようとしてるって見せかけた時も、結局私たちに気にして欲しかったっていうのがみえみえだったよ。私は正直、おばあちゃんは癌になってよかったと思ってるよ。ずっと辛かったんだもんね。自分の本当の気持ちを、素直に家族に話せていたらもうちょっと楽だったんじゃない?

自分も、他人も受け入れることができたなら楽だったんじゃない?みんなが苦しむこともなかったと思うよ。認知症だったから癌になって最期を迎える時、結局思ってることを聞くことができなかったけどちゃんと話したかったな。

末期癌だってわかった時、認知症がひどくて精神科の病院に入院した。でも、結局お母さんの職場の病院に転院したのは何故だかわかる?精神科で最期を迎えるのは、世間体を気にするおばあちゃんは嫌だと思ったからだよ。

お母さんがおばあちゃんの気持ちを考えて転院の段取りをしてくれたんだよ。病院食を食べられなかったおばあちゃんに、少しでも食べる楽しみをとスーパーで美味しそうなゼリー探して病院に持って行ってたよ。すごくうれしそうな顔してたね。

酷く当たっていたおばあちゃんに対するお母さんの対応、覚えておいてほしいな。それを見て、わたしもお父さんもおばあちゃんへの対応を考えるようになったんだよ。お母さんのおかげ。最期を迎える間際にならないと、お互いが優しくなれないなんて、寂しかったね。

お互いがよい関係を作れたらよかったのにね。孫の私が言うのもなんだけど、おばあちゃんは素直になれたらよかったのにね。人の目を気にせず自由な人生を過ごせたらよかったね。そしたら、おじいちゃんが亡くなってからももっと楽しい毎日だったかもね。

それから、私たちもごめんなさい。おばあちゃんはあなたしかいないのに、冷たい態度をとってしまって。認知症になるまでに、楽しい思い出をもう少し残してあげればよかったかな。私の中では、小さい頃の楽しかった、優しかったおばあちゃんの思い出は残ってる。

おばあちゃんの中にはどんな思い出が残ってるのかな。

少しの間、私ら子供には告げずにいたみたいなのが後々分かって、二人でだいぶ悩んでたんやろうなって感じた。

今思えばお母ちゃんも自分の給料で自立したことなんてないから、不安でもう絶対に働くことなんかできないお父ちゃんに対して警備員でもやってよ。って嘆いたんやと思う。悪気はなかったんやで。それでも実際いなくなってから、あんなお母ちゃんやけど頑張って働きに出て自立して生活してたんやから。

もっと長くお母ちゃんを支えてあげて欲しかったわ。全然太ってないし、タバコもやめたし、そこらの人より健康なはずや、と自分で決め切っていい歳やのに全く検診とか行かんからこんな事になるんやで。

ただただ病院が怖いから行かんかったんやろ?同世代の人みんな定期的に行ってるで。だからずっと今も元気におれてんねん。若い時からあんだけずっと長生きしたいって言ってたんやから、それなりに病院行って自分の身体の事知っとかないとあかんやん。

お父ちゃんは運もよくホスピスに入れたけど、今後お母ちゃんも同じ状態になったとしても、そういった所には入れてあげられへんと思うわ。経済的に無理やと思うから。だからか年齢的に絶対何かはあると思うけど見つかったらそれはそれでお金とか大変やし、そんなんいいから。となかなか検診とかに行ってくれへんねんで。

父ちゃんの流れを経験したから私らに迷惑かけたらあかんって思ってるんやと思う。気持ちはわからんでもないけど、それはそれで心配やねんで。ほんまどうにかして欲しいわ。そういえば1回看病しに病院行ってた時に、私に蕁麻疹出たことあったやん。

自覚はなかったけどほんまにあの時疲れ切って体力なくなってたわ。限界やったし。義理のお母さんに子供見てもらって病院に通えたけど、気もめちゃ遣うし、お父ちゃんはどんどん痩せていって悪くなっていくし、ほんま絶望的な状態やったわ。今も思い出したくもないわ。

モルヒネの副作用やろうけど、私の事を認識してくれへんようになって、ショックで隠れるようにして泣いたんやで。ほんま辛かった。もう娘として思ってくれへん、接してくれへんと思ったら、これだけしてるのに忘れるって……。って涙が止まらんかった。

悪気はないのは分かってるけど全然現実を受け入れられへんかった。もう明日から病院行くのいややって思ったもん。最後まで娘が来てるって分かってて欲しかったし……。

最後の最後に1回自宅に帰りたいって看護師さんに言って、帰らせてもらったけどお父ちゃんは少しでも外泊することによって入院費が安くなると思って言ったんかもわかれへんけど、特別な介護タクシーでしか帰られへんし、帰ってもいろんなチューブとか必要な状態で、お母ちゃんは急変したらどうしようって、ものすごい不安やってんから。

病院にいてもらった方が安心やったのに、最後のわがままやとみんな思ったからそのようにしてあげてんで。めちゃ大変やったわ。お父ちゃんの流れを受けていろんな経験したから、あれから初めて鬱っぽくなる病気も経験したし、なんだかんだほんま大きな影響受けてんから。勘弁してって感じやわ。

おい!癌細胞!なんで私の胸に住み着いたんだよ、家族・親戚の誰にも居ないのに私を選んだ理由を教えてくれ!何かのバチが当たったのか?そんなに悪いことをしたのか?
お前の顔を見るなんて一生無いと思ってたよ、人間を苦しめる為にしか存在しない奴に会いたくなかった。世界中の嫌われ者のお前を退治する方法を考えその成功を願っているんだよ、お前なんか生まれて来なければ良かったのに。
私の胸に住み着いたせいで、それまでの生活が一変したんだよ!抗がん剤治療の為にお酒は飲めない、たばこも吸えない、楽しみを奪われてストレスが溜まるい一方だよ。
おまけに味覚障害の副作用が強くて何を飲んでも食べても不味いし苦いし辛い日々だよ、髪の毛は全部抜けて丸坊主だし眉毛やまつ毛も無くなって恥ずかしくて外出もできないじゃないか!癌細胞!お前のせいで私のこの先の人生めちゃくちゃなんだよ、3年前に昔の交通事故での後遺症で右下肢の3関節に変形性関節症を発症して仕事を辞める事になって自宅療養してたんだよ。また働けるようになりたいし将来の事を考えて今年の初めに人工関節を入れる決心をしたのに乳がんが発覚。
お前のせいで癌治療を優先する事になって、足の痛みをずっと我慢してるんだよ!この辛さはお前には分からないよな!
癌細胞!2度と私の前に現れないでくれ、この世から居なくなってくれ!ばかやろう!

前向きに治療をしようとしている父だけど、体力が落ちて感染症になって抗がん剤治療が1クールしかできなかった。
体調が落ち着いて少し良くなってきたように見えたし、仕事に復帰しようと準備していた時に悪化して入院。
それからだね。
癌が広がって食べ物の通り道をふさいでしまうからと、食事がストップになったのは。
点滴だけの毎日。
声に張りがなくなってしまった。
弱音を吐くのが嫌いだから、痛いとも辛いとも言わないけど、目が怒っている。話し方もきつくなった。
優しい言葉をかけたくても、いつもイライラしているし、近寄れない雰囲気になった。
ベッドの足元で見守るのが精いっぱい。ごめんなさい。
先生に聞けないことは私が聞いてあげる
「何で治療法がないのに検査ばっかりするのですか?」
「何も食べてないけど、胃が燃えるように痛いって言ってます」
「手術した時、思ったよりも癌が広がって切除できなかったと言われたけど、本当に切除できると思って手術したのですか?」
先生の答えは、
「検査はがんの進行を知るために必要」
「何も言わないから気づかなかった。我慢強い人です。」
「手術前は切除できると思って手術をした。開腹しないとわからないところまで広がっていて残念だった」
悔しいね。父が悔しい思いをしているのは目を見ると伝わってくる。
父は優しいから、私にイライラをぶつけないように我慢してくれている。でも、兄には強く当たっている。
お兄ちゃんは文句言わずに協力してくれているよ。
「情けない姿を見に来たのか」
お父さん、そんなこと言わないで。お兄ちゃんはそんな風にお父さんのことは見てないから。退院したらまた元気になると思っているよ。
昔から胃腸が弱かったね。弱い部分に癌はやってくるのかな。
調子が悪いのに仕事に行って、帰ってきてから念のために病院へ行ったら、大きな病院へ回されてそのまま入院。
将来の計画が狂ったね。
3人目の孫が生まれてまだ1年しかたってないよ。もっとそばにいてたくさん愛してほしい。
父の前で食事をするのは気が引ける。
自宅に戻ってきたのはうれしいけど、父のベッドから食事をしているのが見えるし、調理の音やにおいが届いてしまう。
子供たちがワイワイしていると、「元気をもらえる」と喜んでくれてほっとした。
お父さんは辛いのはもちろん、家族な辛いことも知ってね。
父が確実に死に向かっているのを感じる毎日が不安でたまらないよ。
お母さんは倒れないでね。みんなそばにいるからね。

まだ50代の義理の姉
子ども3人は社会人になり自立しているけれど…
娘の花嫁姿を見たかったとポツリ…
そんなに長く無いことを悟っているかの様な言葉…
私にも娘がいるので何も言えなかった

義姉と義母の仲がそんなに良く無かったので、結婚当初、私はどう対応すれば良いのかすら分からなかった
正直、そんなに好きにもなれなかった
きっと義姉も私の事が好きでは無かったと思う
私と義母が仲良くしてるのも気に入らなかったと思う

最初の何年かこそ気を使っていたけれど…
私は私!そう割り切れる様になり義姉が来ても私のペースでやれる様になった

義実家は商売をしていたので私は義母や義兄の手伝いもしていた
義姉は義実家の手伝いはしないと結婚前から言っていたそうだ
それでも普通に来る神経の図太さに感心さえしたものだ
そしてそれを義兄も何も言わなかった
私には色々お願いしてくるのに…
義姉の事を思うと理不尽さは感じたものの手伝いが嫌では無かった
頑張ってね…という義姉の言葉の方が嫌だった
心底、義姉が嫌いになった
甥っ子も姪っ子も嫌いでは無かったけれど心の底から好きになる事は出来なかった
義姉は私の子ども達には感心が無い様だった

甥っ子や姪っ子達も大きくなり学校等で忙しくなり来る機会が少なくなった
わたしは義姉が義実家に来なくなり喜びさえした

義父の葬儀に来たは来たけど特に何の手伝いもしなかった
あぁ、それほどまでに義実家が嫌いなのだと再確認した

そんな義姉が大腸がんになった
まだ50代…
最初に聞いたときは動揺が隠しきれなかった

いくら好きでは無かった人だとはいえ、大腸がんだと聞いてしまっては平常心を保てなかった

それからまた義姉達との交流が始まった

いくら甥っ子、姪っ子達が社会人になっているとはいえ、独身の子達が仕事をしながらの介護は難しいものがあった
だから、何かあったらいつでも言ってねと子ども達に言った

そこからの病気の進行は早かった
日に日に義姉は細くなっていった
今より良くなる事は無いと思う
今の状態を如何に保てるか…

日にちが経つにつれ、私は今までは今までと義姉の事をそう思える様になった
子ども達には何の関係も無いのだから
いくら社会人とはいえ、子どもは子ども
母親の辛そうな姿を見て平気な訳が無い
義兄も自分は何をすれば良いのか分からない節があった

私は義姉の子ども達の為にも、子ども達や義姉の心のケアをしていこうと決めた
腹をくくったといってもいい

1番は甥っ子や姪っ子に後悔をさせない為に
また子ども達を置いていく義姉の為に
そして…自分も後悔しない為に

そんな時、義姉からありがとうと言われた
驚きと動揺が隠せなかった
そんな事を言う人ではないと思っていたから

義姉にも色々な想いがあるのだろうと思った
何となく義姉を許せた様な気がした

これからも私は複雑な気持ちを抱えていくと思う
それでも今出来る事は後悔の無いようにしたいと思う

1度すでに手術してしまった自分を、その癌に犯されている途上の自分やもっと過去に遡って知らせられたなら、と何度も思いました。もうちょっと知るのが早ければ、、、と。

だけどその頃はきっと知ったとしても、まさか即手術の状態になっているだなんて思いもよらなかったので、スルーしていたような気がします。

そして、手術跡は残ったものの、今では勲章として、むしろこの経験を経ることが出来て大切なエッセンスを手にすることが出来たのだと本当に感謝しかありません。

元の自分以上の自分です。人生初くらいな過去一最高潮なコンディションへ導かれ、それがデフォルトで居られて毎日がそれが基本で楽しく心底幸せで、自分が自分の人生の運営者なのだと実感出来ました。

よくスピリチュアルな人たちが言っている「クリエイティブ」の意味が分かった気がしました。細胞レベルから健康であるがゆえに発現する私だけの個性の輝き。なんにも気負わず、難しいことを考えたり策を練ったりするのではなく、ただただ自分であるだけで自然と色んな恩恵がもたらされるような(もちろん行動するのは自分なのですが)、地球や宇宙との一体感を感じました。

また、手術することがなければ知り得なかった、病院での一連の検査の日々(MRIやPET-CTにも入りました)、採血に何度も何度も行き1回に5本アンプルも取られること数回。そして入院・・手術と。麻酔を受けた事。術後に目覚めた時の事。1週間の入院生活での看護師さんのかいがいしい働く様、食事内容、点滴、支払いや保険システムetc..世の中のシステムを少し垣間見る事が出来、勉強になりました。
それらは今だから言える、決してネガティブな事ではなかったと。

そして、やはりお腹に傷を入れることなく、未然に防げる(防げるというか、本来の正しい細胞レベルからの本物の健康である状態が理想)人を何とか助けたい、自分のような二の舞になる人を1人でも救いたいと思うようになりました。