母さんへ。本当によく頑張ったと思う。初めの白血病が発覚したのは、10年前位だったかな。
夏で体がだるいって言ってた。打ってもないのにあざがあって、妹となんでかな?って言ってたよね。
でも病院に行く決め手になったのは、母さんの友達の看護師さんのひとことだったね。それも、病院行ったら、即入院。
あと数日遅れてたら、危なかったって言われてて、その友達が鋳なかったら..って思うと。命の恩人だよね。
白血病で入院するって知ったのは、会社の転勤する人の送別会で見たメール。白血病って’世界の中心で、愛をさけぶ’ってな映画のイメージしかなくて。
帰って一人で泣いたなぁ。。
10年前は今より医療が発達してなくて、面会に行ったら、抗がん剤の副作用で、髪の抜ける姿や、顔色が悪くなっている様子を見るのがしんどかった。
味覚も変わったみたいで、〇〇買ってきてってよく言ってたね。
1回目の白血病の寛解前、先生にどうしても検査してほしいって頼んだら、まさかの再発。そのまま、検査を頼んでなかったらどうなってるんだろうって思った。
年齢的に骨髄移植は難しくて、また違う方法だったけど、それもなんとかクリアして、あれから7年位かな?違う病気で入院してて、いろんな検査して、もしかしたら白血病かもしれないって言われた時はなんで?って思った。
でも、それを1番感じたのは母さんだよね。再発して、何の問題もなく生きてたのに。
なんで今頃?って。原因は、初めの白血病の副作用??
しかもその時余命宣告されてたよね。何万人に1人位にしかならない稀なことで、なんで母さんに?って思ったよ。他にも病気抱えてたのに。
その時、家にいたのは父親と私。母さんは入退院を繰り返してて、退院してる時に、父さんが脳梗塞で倒れちゃったね。
でも、奇跡的に脳の後遺症だけで済んだね。あとちょっと遅かったら..って言われて。
二人とも入院してる中、じいちゃんの初盆で..お盆の準備を一人でやったのも懐かしいな。父さんが退院して、父さんとの生活がしんどくて、よくラインしてたね。
去年の秋、入院するか、通院治療するかって選択があって、自宅で通院治療って決めたね。私には黙ってたけど、本当は年を越せるかどうかだったんだね。
15キロ痩せたけど、そろそろ亡くなる人って感じはしなかった。秋頃から体調悪くなって、熱出たりして、ご飯も食べなくなって。そんな姿見るのは辛かった。
だけど、どうしてもって、合唱の大会を見にいったね。
駅まで送ったのが、母さんの元気な姿を見た最後で。その2日後、意識がなくなって、その2日後、一人で静かに息を引き取ったね。
いきなりの体調の変化に、面会して変わり果てた姿を見た時は涙が止まらなかった。
去年の4月、弟が帰ってきてお世話は楽になったけど、毎週木曜日の診察の送り迎えは私がしてて、時間に余裕がなかったのを思いだすよ。
仲の良かった学生時代の母さんの友達は、49日の前日に、5時間もかけて会いに来てくれたよ。
その友達から、母さんが私にすご感謝してるって電話で言ってた話をしてくれたよ。お世話をしてて辛いこともあったし、亡くなって辛かったけど、それで、一気に楽になった。
そんな友達を持った母さんを羨ましいって思ったし、亡くなる1週間前、歯医者に行ってたんだね。
受付のお姉さんから、突然で驚いたってお悔やみの言葉をもらったよ。
母さんが亡くなって2日後から私は仕事に出なくちゃいけなくて、多分短時間しか働いてないからだけど、気持ちの切り替えが本当にしんどかった。
いつも助手席に乘せてた車に乗って、仕事終わったら涙が止まらなくて。
だけど、そんな時何故かいいお客さんとかに出会ったんだ。
それで助けられたよ。母さんのエンディングノートに、ちゃんと会いに来てほしいって書いてたから、母さんが亡くなってから、月命日の前後に会いに行ってるけど、気づいてるかな?
また、会いに行くね。今までありがとう。